GW前から左耳後ろ辺りに痛みがあったので、5月2日(月)に病院に行ったところ「帯状疱疹」と診断されました。

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しかしながら翌日の5月3日(火)に、左側頭部の頭痛と闘いながら(笑)、10数年ぶりに「北陸道」まわりで富山県に帰省し、その道中の福井県のお城を巡ってまいりました(笑)

東海北陸道が富山まで、開通するまでは名神高速から「米原」まわりの「北陸道」で富山に帰省していたので、片道5時間ぐらいかかっていた。
そのころは子供が小さいこともあり、途中のお城に寄ろうなんて余裕がなかったんだけど、今回は富山では何処にも行く予定がないので(笑)、その前にお城巡りです。


それでは、まずは「福井城」!

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福井城は、古くは柴田勝家がお市の方(織田信長の妹)とともに自害した「北庄(きたのしょう)城」があった場所から2Kmあたり離れたところに、徳川家康の次男「結城秀康」によって、慶長6年(1691年)から約6年も歳月をかけて築城されました。

この「結城秀康」という人については、なぜ徳川家康の子なのに「結城」姓なのかとか?徳川家康の次男なのに、なぜ三男の秀忠が後継者に選ばれたのか?とか、いろいろとブログ1回分いや、本が1冊書ける!というぐらいの逸話や、諸説がいっぱいある方なので、今回は割愛させていただきます(笑)

さて、その「福井城」は、外様の雄、隣藩の加賀百万石の前田家をけん制するために、68万石という全国2位の石高をもって五重の堀が回る、「五重環郭式」の大規模なお城でしたが、現在では本丸のみが遺構としてのこされていて、内堀、石垣、天守台が残っています。

まずは、本丸を囲む「内堀」です。

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よく見ると石垣とお堀の間に「犬走り」がありますね。これは石垣の圧力を分散させるためとも言われてますが、築城の名手「藤堂高虎」の築城したお城の石垣によく見られます。僕が見たなかでは三重県の「津城」、大阪の「岸和田城」にありましたね。

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後にも触れますが、福井城は1948年の福井地震での被害が石垣に相当残っていて、石垣にはズレや孕みがかなり見られました。今回の熊本地震でも熊本城がかなりの被害を蒙っているみたですが、修復には時間がかかるんでしょうね。

ちなみに、これが「石垣」の「孕み」です。

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妊婦さんおお腹のように石垣が、外側に向かって膨らんでいます。
理由は、地震ばかりではなく、石垣の中の抜けない水分により孕んだ状態になることもあるし、長い年月によって石垣が緩んできたとも言われています。

それでは、「御本城橋」を渡って本丸に入ってみましょう。

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本丸内には福井県庁と福井県警察本部が建っています(笑)

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まあ、お城ってのは、その藩の行政の中心部だったわけだし、幕末の各藩主は明治維新後の廃藩置県の際、藩主から県知事になってる人が多いから、現在本丸内に県庁が建っているのは当然のことなんでしょうね?(笑)

その本丸内には「結城秀康」公の石像がありました!

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一緒に行ったツレアイが
「結城秀康って、なんか~変な顔じゃない~?(笑)」
っと、ツッコミが入ったところで、せっかくなんで結城秀康公の逸話を一つ。

結城秀康は幼名「於義丸」(これも諸説あり)といいますが、これは生まれたばかりの結城秀康の顔を見て、父親の徳川家康が「ギギ」という魚に似てたから、
「この子の名前は於義丸とせよ!」
っと言ったいう説もあり、徳川家康は於義丸に3歳になるまで会わなかったとも言われてます。
ヒドイ父親だと思われますが、於義丸は側室の子だったので、嫉妬深い正室の「築山殿」に遠慮してたとも、また於義丸は双子だったという説もあり、双子は当時「畜生腹」と言われて忌み嫌われていたから会わなかったという説もあります。

結城秀康公は生誕に関してだけでも、これだけの逸話の持ち主なんです!(笑)

本丸をぐるりと回ってみます。石垣の内側には土塁と腰巻石垣の部分もあり、

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当時は石垣の上には多聞櫓か塀があったのでしょう、登れるように階段状の石垣があります。

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本丸内には、天守跡が残っています。

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この天守跡を登ると、福井城および福井の地名の由来となった井戸「福の井」があります。

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その本丸内の中に一段と高くなった天守跡の上にまた一段高く天守台があります。

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この天守台には4層5階の天守閣が建っていたそうですが、寛文4年(1669年)に城下で発生した火事で焼失したそうです。その後は再建されなかったとのことなので、天守閣は、わずか60年ほどしか建っていなかったことになりますね。

天守台の横の「控え天守台」と呼ばれるこの石垣は、先ほど述べた福井地震で大きく歪んだままですね。

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また、天守台の上もなぜか湾曲というか、平面を保っていません。やはり地震の影響なんでしょうか?

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それよりも、この天守台には礎石が残ってますよね?4層5階の天守閣があったわけですから、礎石があって当然ですが、この天守台はなぜか長方形で、礎石が残っているのは、その長方形の部分の半分ぐらいなんです!

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つまり、名古屋城みたいに小天守か、または付櫓が付いていた可能性があるんですね?地震で崩れている「控え天守台」も含めると、いわゆる連結複合式の天守が建っていたのかもしれない!ということです。

ただし、そんな資料は残っていないそうなので、築城の翌年に35歳の若さで生涯を終えた結城秀康公の頭の中には、いつかは連結複合天守閣にしようという構想があったのかもしれませんね。

本丸の外側には、復元された御廊下橋がありますが、


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御廊下橋は現在「山里口御門復元工事」のため、本丸内からは通れませんが、本丸外側からは入れました。

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この御廊下橋は、和歌山城にもありましたね。

ちななみに、堀の水を抜いての工事なので、犬走りの部分がよく分かりますね!

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以上、福井城は終了し、福井城がある福井市から車で30分ほどの隣町「坂井市」にある、現存最古の天守閣がある「丸岡城」へ!

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丸岡城は、確か2004年か2003年あたりに行って以来です(笑)

とういことで、丸岡城は過去に訪問済みなんだけど、前回来たときに丸岡城のすぐ下にある「そば処 一筆啓上茶屋」で食べた「越前おろしそば」を、もう一度食べたかったんだよね~(笑)

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最近、福井のグルメといえば「越前おろしそば」ではなく、「ソースかつ丼」!ってことでセットでいただきました!

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腹ごしらえがすんだところで、丸岡城へ登城です!

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丸岡城は現存12天守の中でも最古と言われています。

築城は、先ほど福井城のところで紹介した「北庄城」で自害した柴田勝家の甥「柴田勝豊」が築城し、その後安井家、本多家、有馬家と続き、明治を迎えました。
この丸岡城も、先ほどの福井城と同じく、1948年の福井地震での震災で天守閣が倒壊しましたが、1955年に再建され、国の重要文化財に指定されています。

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最古級の天守というだけあって、初期の天守閣の構造で、入母屋造りの1階に2階部分の櫓が載った「望楼型天守閣」です。
いかにも、戦国時代の砦にあった物見櫓から天守へと進化していったという典型的な天守閣です。

ちなみに、2重3階(外から見ると2階建てに見えるが、中の構造は3階建てですという意味)です。

丸岡城の遺構は。この天守閣しかありませんが(笑)、その分いろんな特徴があります。

まずは、物見櫓から進化している天守閣なので、付け櫓や連結天守など一切無く、石垣に階段が付いていて、いきなり天守閣です(笑)

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この長い階段は「小田原城」にもありますね。

当然、古いお城ですので「野面積み」の石垣です


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もう一つ、腰屋根とも、腰庇(こしひさし)ともいわれる天守と石垣の間にスカートのようなものがありますね。

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これは、古い天守の場合、石垣ギリギリに天守を建てる技術がないため、天守と石垣の間から雨や雪(豪雪地帯だから)が流れ込むのを防ぐ役割を果たしています。

そして、丸岡城唯一の特徴!屋根の瓦が「笏谷石(しゃくだにいし)」で作られた石瓦であることです。

高所恐怖症のため、なかなか身を乗り出して石瓦が撮れません(笑)
石造りの鬼瓦部分がギリギリ写ってますよね?(笑)

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石瓦は約6000枚!
総重量は、なんと120トン!だそうです。
石瓦は雪や風に強く、これも豪雪地帯ならでの知恵でしょうか?

また、たった3階建て天守なのに「通柱」がないのも丸岡城の特徴です。

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もう一つ面白いのが、最上階の廻縁に出られない構造になっています。

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外観からすると欄干まであるので、出られそうですが(笑)
まあ、無理すりゃ出られるんだろうけど、係員のおっちゃんに怒られますね(笑)

まあ、丸岡城は一度来てるし、遺構は天守閣しかないから、とりあえず城下に行ってみます(笑)
というのも、天守閣から気になるものが見えたんだよね(笑)

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城下に行ってみると、かって丸岡城を取り囲んでいた外堀の一部が用水路となっています。

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そして、その横にあったのがこれ!

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時計台と公衆電話ボックスとお地蔵様が、三位一体となった「あやしい城」です!(笑)
「下見板張り」仕上げが丸岡城とマッチしていい雰囲気ですね~

ここで、丸岡城をあとにして、本当は石川県小松市にある「小松城」を見たかったんだけど、タイムアップ!
というより、すこしでも早く富山に着いて、温泉に入って、きときとの刺身と美味しい酒が待っているかと思うと、我慢できなくなっただけかも?(笑)