ポツダムレッドけいじのポツダム日記

名古屋を中心に活動する、自称ヴィジュアルエンターテイナーハードロックバンド「ポツダム巨人軍」のヴォーカル&ギターのポツダムレッドけいじです。体力の続く限り、全身全力で叫び続けるのだ!

2015年09月

大須ell.SIZE & Marcy's Vox 発表会

大変遅くなりましたが、先週末の9月26日(土)に大須ell.SIZEで行われましたポツダム巨人軍のライブにご参戦くださいました戦士の皆様!ありがと~ね~!

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 今回は、ell.SIZE初出演ということでしたが、過去にはElectrick Lady Land(O..Aだけど 笑)、そしてell.FITSALLには2度も出てるし、旧Electrick Lady Landにも30年前ぐらいには出てるから、あとは豊橋にあるell.KNOTに出演できれば、全ellに出演したことになるね(笑)



 また、ポツダム巨人軍としては初出演だったけど、僕は個人的には五年前に「田川ヒロユキ」君のライブにゲストとして出演させていただいたことがありました。その時のブログはこちら

http://pozdam-red.dreamlog.jp/archives/2010-10.html

今回のライブは、初出演にも関わらず、出番はトリ!(笑)戦士の皆さんからの熱~い援護射撃に、アンコールまでいただき、大変盛り上がったライブとなりました!重ねてありがと~ね~!

では、レポートをと思いましたが、今回は地元名古屋ということで、リハーサルを終えればメンバーは各自バラバラに行動(笑)

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ちなみに、僕は次回10月31日(土)のハートランドのライブのチケットを受け取りに、伏見まで歩いて行ったり、打ち上げの会場の下見をかねて大須の街をウロウロしてました(笑)

今回は残念ながら、ライブ写真はありません(笑)

そして、今回は打ち上げが楽しかった~!というのも、今回のライブのオファーは対バンの「チキチキ Yeah」のギタリスト「吉田くん」からだったのだが、彼とは彼が以前所属してたバンドとの付き合いも含めると、20年以上の知り合いということで、打ち上げでは昔話に花が咲き、宴は延々と続くのでありました!

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写真に写っている女性は、もちろん「吉田」くんじゃありませんよ(笑)
話に花が咲きすぎて、楽しすぎて彼との写真を撮るのを忘れてしまったぐらいです。

そんな、二日酔い気味の翌日(笑)、僕は新栄にある「リフレクト・スタジオ」に、アースシェーカーのボーカルのマーシーさんの主宰するボーカルスクール「Marcy's Vox 名古屋校」の生徒さん達の発表会へ。

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今回で、4回目となる発表会ですが、過去2回にポツダムレッドけいじとして、司会進行役を担当させていただきましたが、今回も是非に!とのご依頼をいただき、なんとか無事に司会を務めさせていただきました!

7人の生徒さんは弾き語りや、バンド形態での発表でしたが、なかなかの強者ばかり!僕もボーカリストとしてうかうかしてられません(笑)

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それでも、最後は先生のマーシーさんも加わりのセッションで、アースシェーカーの曲を生徒さんみんなで歌い、大いに盛り上がった発表会でした!
もちろん、僕も「MORE」や「RADIO MAGIC]を一緒に歌わせていただきましたよ!

そして、連日の打ち上げ!(笑)

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いや~!ホント楽しい楽しい週末でした!

だが、連日の打ち上げの写真を見てもらえば分かるけど、両手とも「腱鞘炎」で湿布&サポーター(笑)

沓掛城

先週9月11日(金)に、愛知県豊明市に仕事に行きましたが、夕方のアポが、夜にずれ込んでしまったので、暇な時間はお城ってことで(笑)
沓掛城(くつかけじょう)に行ってきました!

現在は、沓掛城址公園として整備されてますが、空堀と土塁が残るいいお城でした。

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これは、空堀に囲まれた本丸を外から見たものです。

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沓掛城は、関ヶ原の合戦後に廃城になっているので、中世の城の築城方法や、縄張りが残っているお城ですね。

これは、本丸です。

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これは、「諏訪曲輪」とよばれるところです。

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この空堀の横の石垣と塀は、隣の「慈光寺」という寺のものです(笑)

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沓掛城の案内板には書いてありませんが、これは絶対!本丸から突き出した「丸馬出し」だと思います!
ただし、公園として整備される前は田畑と山林だったらしいので、整備されたときに作られたものかもしれず、はっきりとは言えませんが(笑)

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ちなみに、この沓掛城は、あの「桶狭間の戦い」の前夜に、「今川義元」がこの沓掛城に泊まったそうです。

この後、僕は草だらけになった靴で仕事しました(笑)

高須城

昨日、仕事で三重県東員町に行ったついでに、ちょいと足を伸ばして岐阜県海津市に行ってきました。

どうして、ちょいと足を伸ばしたら隣県まで行くんだ?というお叱りの声が聞こえてきそうですが、どうしても高須城に行きたかったんです(笑)

ただし、高須城といっても「高須藩」は尾張藩の分家、いわゆる支藩であるため「お城」はなく、御殿とも御館とも呼ばれる公的な行政機能と、私的な日常生活の居館の機能を併せ持った建物があっただけで、天守閣や隅櫓はなかったようです。

古地図によると、規模は当然名古屋城の本丸御殿や二の丸御殿に及ばないものの、尾張藩の支藩として高い格式をもった立派な御殿だったようです。

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そこで、まずはその御殿の一部を再現したといわれる「海津市歴史民族資料館」へ行ってみました。

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う~ん、御殿の再現はなかなかのものだが、なぜ、そこ?(笑)
鉄筋コンクリートの建物の上?(笑)
1、2階部分は確かに石垣で囲ってあるけど(笑)

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よく街中にある会社のビルの屋上に、神社やらお稲荷さんやらがあるよね?まるであれみたい(笑)

もちろん、資料館(1、2階部分)も入りましたが、ほとんど海津市にとって重要な「輪中」のことばっかり!(笑)

資料館のなかに、資料館全体の模型がありましたが、これを見ると「海津市歴史民族資料館」と御殿の全体像がよく分かりますね!


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まあ、でも上(3階部分)の御殿は木造で、なかなかしっかりしてました!

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さすがに御殿(高須城)の中は、やっぱり「高須四兄弟」ですね!

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「高須四兄弟」とは、幕末の高須藩十代当主「松平 義建(よしたつ)」の子、「慶勝(よしかつ)」、「茂徳(もちなが)、「容保(かたもり)」、「定敬(さだあき)」のことです。

激動の幕末を敵味方と分かれて戦い、明治維新後も生き抜いた四兄弟に写真です。
ちなみに、右側から高須藩から、本家の尾張藩主となった「徳川慶勝」、
高須、尾張、一橋の三家を継いだ「一橋茂徳」、
そして、会津藩主となった「松平容保」、
一番左側が、桑名藩主となった「松平定敬」です。

余談ですが、「一橋茂徳」さんの苗字「一橋」のことですが、以前、田安徳川家第十一代当主「徳川宗英」さんが書いた本、「徳川四百年の内緒話」で知ったんだけど、みなさんご存知暴れん坊将軍こと「徳川八代将軍吉宗」の子供の三人が、一橋・田安・清水という徳川御三卿と称される家を立てましたが、その徳川御三卿の苗字は、本家と御三家と同様「徳川」だそうです。
一橋・田安・清水というのは、それぞれ一橋門・田安門・清水門という門のそばに屋敷があったことから付けられた通称で、正式の苗字でなく、これは御三家が領地の地名で尾張家・紀州家・水戸家と呼ばれるのと同じです。
なので、「一橋茂徳」さんも本名は「徳川茂徳」さんですね(笑)
もっともっと余談ですが、大政奉還をした第十五代将軍「徳川慶喜(よしのぶ)」は、よく小説なんかでは、将軍になる前は「一橋慶喜」と表記されますが、将軍になって徳川家当主になる前から、実は、ず~っと「徳川慶喜」だったわけです(笑)
で、この「一橋慶喜」が本家を継いだもんから、上記のように「一橋茂徳」さんが「一橋家」を継いだわけです。

と、ここまで、長々と高須四兄弟を語ったからには!っと、この「海津市歴史民族資料館」のお土産として買っちゃいました!そのまんま「高須四兄弟」 1,000円なり!(笑)

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涼しくなってきた今日この頃、これからの「読書の秋」に堪能させていただきます!(笑)

ところで、この「海津市歴史民族資料館」の受付で、この「高須四兄弟」を買っているときに、私服のおっさんが入ってきて、

「警察の者ですが、本日海津市内で強盗がありまして、つきましては、こちらの防犯ビデオを確認させていただきたいのですが」

といって事務所に入っていった。僕がその後、車に乗ってテレビをつけたら、いきなりニュースでやってました!
どうやら、パチンコ店に日本刀らしきものを持った男が「金を出せ」と言って入ってきたが、何も盗らず逃げていったらしい。その日本刀らしきものも置いていったらしく「模造刀」らしい(笑)

というようなニュースを聞きながら、今度は高須城があった辺りへ行ってみました。
上記ように、城はないんだけど、「高須城跡公園」はありました。


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公園の、この川の石垣が名残らしい。


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再現された「主水橋」!小っちゃいな~(笑)

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高須城域部分は、ほとんどが武家屋敷だったみたいで、中心部は現在「高須小学校」になってます。この石垣の後ろの部分が小学校ですが、この石垣も決して武家屋敷跡の石垣ではないらしく(近所のおばさんの話)、

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小学校のまわりには、こんな石垣や

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こんな石垣を持った立派な家々がたくさんありますが、どうやら、さすが海津市だけあって輪中の名残のようで、みんな盛り土をして石垣で固めた上に家を建てたそうです。

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土地の古老(石垣のある家の、隣の家の縁側で日向ぼっこをしてたおじいさん 笑)によると、
「ワシが小さいころは、み~んな高倉(たかくら)だったが、でっかい堤防ができたもんだで、沼を埋めるのに、み~んな石垣をくずしてまったんだわ~」
だそうです。でも、その古老の家にはこんな水屋が残ってました。

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しかし、僕は結構人見知りすほうで、音楽関係やライブ会場なんかでも、そう簡単に人に話しかけるほうじゃないんだけど、こと「城」のこととなると平気で地元の人に話しかけてるな~
恐るべし「城マニア」(笑)
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